劇場版 カバさんのミシン

uncycloNana_shiのらくがき帳

ピーマンの肉詰め

ボナンザがなにか気がかりな夢から覚めてみると、自分が大きな芋虫になっているのに気づいた。手も足もなくなってしまったかのように思われた。まったく身動きが取れなかった。薄闇の中でかろうじて動かせる頭を必死で動かし、マガジンラックの横に転がっているデジタル時計の灯りを目にしてようやく少し冷静になった。午前四時。土曜日の早朝だった。昨夜うっかり居間のソファで寝てしまったのを思い出した。どうやら体がすっぽりソファにはまりこんでしまっているのだった。

昨日は仕事でしくじって上司にしこたま絞られ、帰りにドーナツを7つ買って、家に着くやいなや一気に5つ貪り食って発泡酒のロング缶で流し込んだところ、疲労のせいか急な血糖値上昇のせいか、強烈な眠気に襲われてソファに倒れこんだのだった。何度か寝返りを打っているうちに腕が体の下になってしまったのか、まったく感覚がない。さらに悪いことに、背中にクッションが密着し、さらにそのクッションが背もたれと座面の隙間にしっかり挟まっており、座面のずれたあとのくぼみに尻が完全に落ち込んでしまっていて、ほとんどテトリスのあがりのような状態になってしまっている。身体を動かせる余地がまったくない。

ソファは四角いかっちりしたつくりの二人掛けで、緑色のフェイクレザーの張られた固めの座面が心地よく、片方の肘置きを枕にして横になると、まるで測ったように体全体がすっぽりと収まるので気に入っていたが、あまりにぴったりしすぎていた。肉がぎちぎちに詰まって痛かった。

ドーナツを5つも食うんじゃなかった。ボナンザは深く後悔していた。ドーナツだけじゃない。いつも夕食を鍋いっぱいにつくって、最低でも二日に分けて食べようとは思うのだが、気がつくと全部食べてしまっているのだった。先週など腹を壊して反省して、具が梅干しだけのおかゆを土鍋いっぱいにではなく半分の量でつくったのに、それを食べつくしたうえにカップうどんを食いさらに酒まで飲んでしまった。自分の意志の弱さが恥ずかしかった。ここから無事抜け出せたら今度こそダイエットを始めようと心から思った。それなのに、もうすでに腹を空かせていた。おかゆのことを思い出したら、鶏肉と卵のおじやが食べたくなってしまったのだった。皮つきの鶏肉と卵二個のおじやに、できれば焼いたお餅ものせて食べたかった。おじやのことを考えると口の中に生唾がたまった。ボナンザは考えるのをやめたかったができなかった。そんな自分が本当に情けなかった。ボナンザはソファにぎちぎちに詰まったままそっと目を閉じてさめざめと泣いた。涎も垂らした。大粒の涙と涎はボナンザのでかい顔をつたってあっという間に滑り落ち、頭とソファの間で冷えていった。

そのとき急に足元が軽くなった。ずんぐりした体つきに似合わぬしなやかな動きで床に降りたペギーが、皮のたるんだ顔についた曇りのない目でボナンザを覗き込んで、長いべちょっとした舌で顔をなめた。「ペギー!パパの足元で寝てたのか」ペギーの舌のぬくもりを頬に感じて、ボナンザは再び落ち着きを取り戻した。泣いている場合ではない。今はこの事態をどうにか打開すべく動かないと。こんなしょうもない安物のソファを棺にしたくない。ペギーのためにも。自分がいなければこの子は一日だって生きていられないだろう。一刻も早くソファから脱出しなければならない。できれば尿意が襲ってくる前に。ボナンザは力いっぱいソファを蹴った。体の位置が少しずれた気がした。腕を動かそうとするとミシミシ言って怖かったが、勇気を振り絞って両腕を体の下から少しずつ引っ張り出した。足をばたつかせて寝返りを打とうとしたができなかった。

「ペギー!ペギー!」早朝なのを思い出して小声になりながらも、ボナンザは懸命にペギーに呼びかけた。よく見えなかったが、ペギーが耳を立ててこちらを見ているのを願った。「ペギー、抱っこだ、抱っこ」長い間があった。ペギーが首をかしげてじっとしているのをまざまざと感じた。「ペギー!抱っこだ、抱っこだよ、上がっておいで……」ボナンザは猫撫で声でそう呼びかけながら精一杯笑顔をつくり、両腕をできるだけ大きく広げようとしたが、ただ上に突き出されただけだった。ペギーが後ろ足で頭を掻く音が耳のすぐそばで聞こえた。「ペギー!このクソ犬!ジャンプ!ジャンプしろ!」ペギーがその場で大きくジャンプして床に着地したのがわかった。「バカ野郎!」ボナンザは叫んだ。直後、ペギーの爪が肩に食い込んだ。「違う、違う、バカは俺だ」ペギーは鼻をクンクン鳴らしながらボナンザの肩の下に執拗に前脚を突っ込んで引っ搔いた。背中の下のクッションが徐々に引っ張り出されるのがわかった。「ペギー!パパを助けてくれてるんだね!」ペギーがクッションをしっかりくわえてボナンザの背中から勢いよく引き抜いた。ボナンザは懸命に体をよじり、ソファの前のローテーブルの上を手で探った。テーブルに置かれたスマホに右手の指先がかろうじて触れ、ボナンザが会心の笑みを浮かべた途端、アラームが鳴り、スマホは振動しながらテーブルの上をすべり、フローリングの床の上にばたりと落ちた。追い討ちをかけるように、ペギーがその上に座った。世界はあまりにも無慈悲だった。

「クソッ!クソッ!畜生!」ボナンザは身も世もなく泣きながら拳で力いっぱいテーブルを叩いた。その拳がステレオのリモコンに触れた。

野宮真貴が軽快に歌いはじめた。ピチカート・ファイヴの『万事快調』、ボナンザの休日の朝を彩るお気に入りのこの曲も、今はなんの救いにもならなかった。「この野郎!人生なめてんのか!」ボナンザの声は怒りに震えた。まったく見当違いの怒りだった。野宮真貴にも小西康陽にも何の責任もなかった。人生をなめている奴がいるとすればそれはボナンザだった。ボナンザ自身にもそれはよくわかっていた。しかし、それがそんなに悪いことだろうか。ここまでの仕打ちに値するだろうか。ちょっと割に合わないんじゃないだろうか。ボナンザはまた自分のためにだけ涙を流した。ペギーがそのしょうもない涙を舌でぬぐってやった。ボナンザがペギーを抱き寄せると、ペギーは安心した様子で全体重をボナンザの腹にあずけてきた。

傷ついたボナンザの心にペギーの体のぬくもりがじんわりと沁みわたり、その肉球がリズミカルに彼の腹を揉んだ。ゆっくりと、しかし確実に便意の波が押し寄せてくるのをボナンザは感じた。「ペギー、悪いけどちょっとどいてくれないか」ペギーはどかなかった。そればかりか、ゆっくりした動作で首を伸ばしてクッションの下から何か拾い上げると、ボナンザの腹の上でうまそうにクチャクチャと噛みはじめた。カチカチになったビーフジャーキーだった。いつのだかわかったものではない。「ペギー!やめなさい!ペッしなさい!」ボナンザはあわててビーフジャーキーを掴むと力の限り引っ張った。ペギーは案の定抵抗し、無我夢中で、頭を激しく振り立てた。勢いあまって、ビーフジャーキーの先端がボナンザの頬をかすめ、鼻の穴に突き刺さった。ペギーはボナンザの鼻の穴を支えにしてビーフジャーキーを立て、前脚で器用に押さえてクッチャクッチャと噛み続けた。ビーフジャーキーがどんどん奥に入っていくのをボナンザは感じた。ほどなくして、ボナンザはあらゆる悩みから解放された。(おわり)