劇場版 カバさんのミシン

uncycloNana_shiのらくがき帳

おはなしその4 ゴリラのゲンちゃんの話

日本のとある動物園にへんなゴリラがいました。

 

ゴリラといえばふつうお山をのぼったり下りたり、ちょっと喧嘩したり、食べ物やメスのゴリラをとりあってオス同士争ったり、争いに負けてふてくされて体の毛をむしったり、それはけっこう忙しいものです。でもそのゴリラはそういうことをなんにもしませんでした。

動物園のごはんの時間になってみんながなるべくたくさんの餌をせしめようとして争う中、そのゴリラさんは自分の分のリンゴなりバナナなりを一個だけ取って、手にお水のコップを持って、お気に入りのゴムタイヤのあるところまでぶらぶら歩くのです。そして地面に半分埋まったそのゴムタイヤの上にひょいと上ると、檻の前に集まるお客さんの顔なんかをのんびり眺めながら、バナナをゆっくりゆっくり食べて、食べ終わったらお水を飲んで、立派に突き出たおなかをじつに満足そうにさすりました。そして細い木の枝を一本折りとると、その枝の先でシーシーハーハー歯の間をせせるのです。そんなふうにしてそのゴリラさんは、ずっとおんなじゴムタイヤの上に居心地良さそうに座っているのです。

ほんとうの名前はゲンスブールといってとてもおしゃれなのですが、ゴムタイヤの上でくつろいでいる様子がまったくおしゃれじゃなくてそのへんのおじさんみたいなので、みんなからはゲンちゃんと呼ばれていました。お客さんに名前を呼ばれてもゲンちゃんは愛想をしません。檻をつかんで見守るニンゲンたちを悠々と見渡し、さっき食べたバナナがおなかの中でこなれていくのをうっとりと感じているだけです。

明日は朝から会社に行ってお仕事をしなくちゃ、そしてお昼休みには会社の自分の机についたままで20分や30分くらいでお弁当かパンをさっさと食べてまた仕事にかからなくちゃ、と思っていたニンゲンたちでしたが、ゲンちゃんの姿を見ていると、お昼休みはほんとは一時間あるのだし、いつものパンやお弁当を、近所の公園までちょっと歩いてベンチに座って食べるのもいいかもな、という気になるのでした。そして実際のところ、それだけでけっこう気分がいいのでした。お外でごはんを食べる人が増えました。やがて公園のベンチの数がちょっとだけ増えました。休み時間が10分くらい伸びました。

そのようにしてゲンちゃんのおかげで人々はちょっとだけ幸せになったのでしたが、ゲンちゃんはそんなことなんにも知らないまま、いつものゴムタイヤの上でのんびりごはんを食べて、ゆっくり歳をとって、しわしわのおじいさんになって、ある時とうとう死んでしまいました。ゲンちゃんのお世話をしていた飼育員さんは、ゲンちゃんがいなくなってしばらくたったある日、ふと思い立って、ゴリラさんたちがいない掃除のときに、ゲンちゃんのゴムタイヤに腰掛けて、持ってきたバナナを食べて、爪楊枝で歯をシーシーハーハーしてみました。夜風が肌に心地よく、ゴムタイヤからはゲンちゃんの匂いがまだ少しして、とても懐かしくなりました。でもゲンちゃんの気持ちは全然わかりませんでした。ゲンちゃんは自分の周りを見渡して、ニンゲンはいつも檻に入ってないといけなくて大変だな、あの人禿げてるな、あの子かわいい帽子かぶってるな、などと思っていたのでしたが、今は夜で、真っ暗で、お客さんも当然一人もいなくて、飼育員さんは疲れていたので、ゲンちゃんの気持ちをうまく想像することができませんでした。ゴムタイヤの上はまっすぐじゃなくて座りづらいな、とその優しい飼育員さんは思いました。(おわり)

 

(お猿さんの話をしろと言われて本当に思うままに一気にしゃべったのですが、仕事に行きたくない気持ちだけが伝わってきますね……)